国際協力のタネ🌱

国際協力の分野で働いていくことを決めました。キャリアについての投稿や国際協力の魅力を発信していけたらと思います。応援よろしくお願いします!

自分は本当に現地の人のためになっているんだろうか|国際協力での「外国人」の役割って?


海外でボランティアやインターンなどをした学生さんは、「自分は現地の人のために本当に役に立っているのだろうか」と自問自答して悩んだ経験はありませんか?
僕も、1年間東南アジアと中東地域でボランティアやNGOでのインターンをしているなか、ずっと「現地の中での外部の人間である僕の役割はなんだろう」ということを絶えず考えていました。
今回は、1年間の海外での国際協力の経験をもとに、外国人が現地に介入することで生まれる現地にとってのメリットを僕なりの解釈で説明します。

●目次●

資金調達ができる


外部の人間が現地と関わるにあたって、資金調達の役割を担えることは現地にとっての大きなメリットです。人道支援と開発支援を
含む国際協力において、「お金がないから事業ができない」というケースは珍しくありません。そこで、助成金の申請やクラウドファンディングなどをしてNGOや国連などが資金を調達する役割は大きいでしょう。以前このようなツイートを拝見しました。


この方はフリーランスとしてアフリカで現地パートナーと国際協力をなさっています。このツイートにある通り、あくまで主役は現地の方々です。脇役として、しっかりと事業が続けられるように資金面のサポートが外国人である僕たちに求められているのではないでしょうか。また、国際援助活動とビジネスの違いは、お金の発生源に違いがあります。ビジネスはモノやサービスを売ってお金を生み出しますが、国際援助活動の場合は、すでにあるお金をこちら側にもってくる感覚が強くなります。資金調達をうまくなるようにするにも、クラウドファンディングなどは練習しておくと良いかもしれません。

現地の複雑な権利関係にあまり左右されない


「支援目的をもってやってきた外人」ということで一定の距離感が現地の人との間にあるので、現地の複雑な権利関係にある程度邪魔をされないことから、支援事業をスムーズに進められることも現地の人たちにとってのメリットです。特に、支援事業を開始する最初の段階などは積極的に外国人が関わって行った方が良い場合があります。外部の人間だからこそ、いきなり学校の校長先生、市長、地域の実権者などと立ち会うことが可能な場合が多くあります。現地の方々だと、どうしても地域の権力関係に深く組み込まれてしまいますが、そうした権力関係にあまり深く巻き込まれない外国人の存在は大きいと思います。

現地にない技術を提供することができる


道路建設やダムの設立など、支援国ならではの技術を提供できると現地の人々にとっても大きなメリットになります。いわゆる、技術提供というモノです。特に開発支援において、技術提供は基本となります。インフラ整備の開発などハードな面での技術は現地の人々にとってニーズがあります。また、現地の人たちが自分自身で行えるように指導する研修・キャパシティビルディングもソフトな面での技術提供です。外部の人間が現地に介入する際は、現地のニーズに応えられるような技術の提供ができると大きなメリットがあるのではないでしょうか。現地のニーズにうまく応えられないと、結果として現地に悪影響を与えてしまうかケースがあります。関心がある方は関連記事をどうぞお読みください。

関連記事:スラム街にモノを届けるステキな国際協力は全然ステキじゃない|物資援助のあるべき姿 - 国際協力のタネ🌱

まとめ

いかがでしたでしょうか。僕は今回の海外での国際協力活動を通して、自身の無力さを知りました。おそらく他の学生さんたちも同じような経験をしたのではないかと思います。大切なのは、自分が無力がと感じた後つぎにどのような行動を選択するかだと思っています。意味がなかったと諦めるのか、自分に足りない能力を磨いていこうと思うのか、帰国した後の自分自身の行動によって、将来は変わるモノであるとおもうので、これからも共に自分を磨いていけると良いなと思います。記事が気に入ってくれましたら、ぜひ参考にしていただけると光栄です。

問い合わせメールやDMは、現地活動家がアナタを知る最初のきっかけだ|現地訪問のアポ取りはメールと事前調べが全て

f:id:keijuglobal:20200212202914j:image

現地のことをよく知る、現地NGOの支援のあり方などを知りたい時、あなたならどうしますか?

現地に関わる信頼性の高い団体・人物を訪問することは1つの有効な手段です。しかし以前、このような声を多く発見しました。

 

「現地訪問を希望する学生の中で、人としてのマナーがなってないし時間の無駄と思わせる人が多い」

 

現地で活動する団体・人物は基本毎日忙しいため、訪問を受け入れてくれるとは限りません。

しかしながら、「そういう方々の貴重な時間を借りている」ということに気づかず、配慮の足りない姿勢で相談をして訪問を断られてしまうというケースが少なくはありません。そういうことは現地活動家の方々にも失礼ですし、自分にとってもせっかくの貴重なチャンスを潰してしまいもったいないですよね。

 

相談をするには、基本的にHPや公式窓口からメールで問い合わせを送る形になります。当記事では、これまで自身もいくつか現地団体・活動家を訪問して来た経験を生かし、現地団体・活動家の方々を訪問する際の相談の問い合わせで心がけるべき点と、番外編で現地訪問にあたって必要な準備を紹介します。

 

●目次●

 

問い合わせを丁寧に書く!これが全て(相談の問い合わせで気をつけるべき点)

f:id:keijuglobal:20200212204003j:image

いきなり結論が出ましたが、現地訪問希望の問い合わせは丁寧に書くのが全てです。では、具体的にどのように丁寧に書いたらいいのか解説していきます。

 

まずはしっかり感謝を伝えよう

先程も説明しましたが、現地の活動家たちは自身の事業に充てたい貴重な時間を僕たちに消費してくれていることになります。ですので、最初に必ず感謝の文章を書いて先方への感謝をしっかり述べましょう。メールの終わりにも感謝の文章を添えるとより良いと思います。

 

自分が誰なのかハッキリさせよう

相手にいきなり「こんなことが知りたいんです!」と相談しても、相手はびっくりしてしまいます。なぜならあなたのことをよく知らないから。最初に自分が何者なのかを、所属と現在の活動と混ぜて詳しく&わかりやすく書きましょう。この時に専門用語はNGです。専門用語を誰にでも分かるような言い方に直しましょう。また、所属先のリンクなどを貼っておくと相手も安心できます。ただ、その際には貼るリンク先がどんな内容なのかちゃんと説明しましょう。ちゃんと説明を添えないと、リンク先がウイルスサイトではないかと心配してしまうからです。

 

自分が知りたいこと+経緯と今後の展望

団体訪問や人に会う時の基本的な目的はその団体・人物の詳しいことに沿った内容ですよね。たとえば、現地の状況だったりキャリアだったり。そうした知りたいことをメールで伝えるのは大事ですが、それだけではなく、知りたいと思った経緯・今後どう活かしていきたいかという点も伝えると良いでしょう。ここでも専門用語を使うのはなるべく控えましょう。

 

自分自身が空いている日にち・時間帯を伝える

現地で活動していらっしゃる方々は「学生がわざわざ来ているんだから・・・」と無理にも会おうとしてくれる人は多いです。しかし、具体的な時間が分からないと会うにも会えません。ですので、自分がどの日程の間に訪問が可能で、何分ほどあって欲しいのかをあらかじめ伝えておきましょう。

 

物事の決定権は全て相手にあることを忘れずに

時々見かけるのが、もうすでに会える前提で相手に連絡を取る人の場合です。この場合だと、相手も勝手に話を進められて快くありません。ですので、問い合わせのメールは全て「相談」であるということを忘れないでおきましょう。相手に全ての決定権があり、自分は自身の要望が実現可能か「相談」しているのです。

 

 

【番外編】事前調べは徹底的に

f:id:keijuglobal:20200212204736j:image

団体を訪問する際に、団体の公式HPなどで団体の活動を細かくみておくことは超重要です。人物であったら、ブログをやっていたり本を書いている場合があります。そうした記録物は全て目を通しておきましょう。また、もちろんですが質問する内容や地域の歴史・政治などを自分の言葉で説明ができるくらいにしっかりとインプットしておくと良いでしょう。なぜなら、限られた時間の中で出来るだけ対面でしか伺えないことを聞きたいのに、すでにどこかで公開されている情報を話されても双方にとってマイナスでしかないからです。時間をわざわざ割いてくれた団体・人物は新しい発見もなくただ時間を浪費するだけですし、質問をする学生にとっても貴重な時間が勿体無いです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。現地訪問は相談の丁寧さと事前調べが非常に重要です。僕自身、この記事を書くことは迷ったのですが、多くの学生の方に世界を見て来て欲しいと思い、自分のノウハウをここに記しました。しかしここに重要なポイントが書かれてあるからといって、コピーペーストのようにただポイントを抑えた文章を書いても、おそらくダメでしょう。本気で現地のことを知るために団体・人物訪問をしたいと考えているなら、ポイントを抑えるだけではなく他にも自分で創意工夫をし、どうやったら相手に伝わりやすいか・どんなことが相手の知りたい内容か・このメールをもらったら相手はどんな気分になるだろうかなどいろいろ試行錯誤して文章をまとめるべきだと思います。

スラム街にモノを届けるステキな国際協力は全然ステキじゃない|物資援助のあるべき姿

f:id:keijuglobal:20200210205101j:image

フィリピンマニラ・路上で遊ぶ子どもたち(筆者撮影, 2019)

「フィリピンマニラのスラム街で暮らす、学校に行けない子どもたちにランドセルを300個届けました!」

一見とてもいいことをしたように見えるこうした物資援助による国際協力。しかし実は、その裏で悪影響を及ぼしているかもしれない事実に気づく人は意外に多くありません。

 

物資援助による国際協力は万能ではなく、国際協力で「とりあえずモノをあげればいい」という考えは間違っています。本来、物資援助は状況を考慮しなくてはいけません。では、本来あるべき物資援助の姿はなんでしょうか。

 

当記事では、物資援助が及ぼす悪影響と原因、そして解決策を解説します。

 

●目次●

 

物資援助が地域にもたらす悪影響とは

現地の経済を破壊する

f:id:keijuglobal:20200211104849j:image

フィリピンミンダナオ島南部・田舎地域にも立派な市場は存在する(筆者撮影, 2020)

開発途上国の人たちは、全員毎日物資を供給されて過ごしているのかというと、そうではありません。現地には現地の経済があり、そこでモノの売買が行われている場合が多いというわけです。現地の経済がある中で外から物資を運んできてしまうと、その現地の経済が発展しません。「少しくらいなら、そこまで影響を与えるわけじゃないだろう」という考えもあるかと思いますが、1ヶ月1万円以下の給料で生活をしている人々にとっては、日本の200・300円くらいの物価も大きな値段です。さらに事態が悪化すると、支援物資が現地の市場に出回るという場合があります。要するに、支援物資よりも必要なものがあったので、それを買うお金を作るために支援物資を市場で売ってしまったということです。「文房具屋さんが以前まで儲かっていたのに、支援物資のせいで生計を立てられなくなって廃業した。なおかつそこの子供はお金がないから働きに出て学校に行けなくなってしまった。」なんてことは絶対に避けたい事態です。

 

根本的な解決にならない

f:id:keijuglobal:20200210204023j:image

フィリピンマニラトンド地区・線路沿いに住居を構える人々の様子(筆者撮影, 2019)

支援物資は消耗品であるということを、しっかりと理解しておく必要があります。物資を使い切ってしまったら、そこで支援対象者の行動範囲は狭まってしまいます。たとえば、経済的困窮が原因で学校に行けない児童に、文房具や教科書を購入したとします。(小学校は授業料自体は無料であるが、交通費や諸教材費は自己負担すると仮定します)最初は確かに学校に行けます。他の子供たちと同じ授業を受けて楽しく時間を過ごすことができます。しかし支援物資が絶たれたら、その児童は自分で勉強道具を買うことができないので、学校を辞めてしまいます。また、本当に日々の暮らしが厳しい家庭では、教育の重要性をわかっているにもかかわらず、1日のご飯を食べるために子供を働きに出してしまうというケースが多くあります。フィリピントンド地区のかつてスモーキーマウンテンがあった地域周辺はまさにそのケースが当てはまります。このように、物資援助は基本的に一時的な支援でしかなく、根本的解決になりません。「児童が持続可能的に学校に通えるようになる」ということに重きをおけば、物資援助よりも両親の職業訓練児童養護施設への紹介を考えることなどをした方が圧倒的に効果的です。

 

「援助慣れ」を助長してしまう

f:id:keijuglobal:20200211114823j:image

フィリピンミンダナオ島南部・自分自身で工夫し船を作って漁をする男性(筆者撮影, 2019)

的を得ていない物資援助がもたらす悪影響のひとつに、現地の人が援助慣れしてしまうという点があります。物資の供給が途絶えた後は、現地の人たちは自分たちでその分をどうにかして生活しなくてはいけません。これは若干個人的な視点が入りますが、ヒトは恩恵を与えられすぎると自分から何かを獲得するという意欲をなくしてしまいます。なぜなら、自分で何かを獲得する必要がないからです。物資援助もこれと同じで、不用意かつ過剰な物資提供は人々に「いつでももらえるんだ」という勘違いを生み出してしまい、自身で物事を解決する力を養えなくなってしまいます。その結果、他NGOなどが支援に入った際に、現地住民に「モノをくれ!」と過剰に要求をされて、そうした人々は支援にぶら下がる怠惰な人々とレッテルを張られてしまうのです。しかしよく考えてみると、それは現地住民が悪いのではなく、支援者の間違った関わり方がそうした問題を起こしているのです。本来は、そうした場合には物資援助ではなく、自分で行動を起こし解決できる力を持ってもらうアプローチが必要です。(俗にエンパワメントと呼ばれます)

 

 

なぜ悪影響のある物資援助が生まれてしまうのか

支援者が現地の状況を理解し切れていない

f:id:keijuglobal:20200210204526j:image

現地の状況を理解し切れていないこと、ニーズ調査がうまくいっていないことなどが大方な原因です。うまくいっていない物資援助は基本的に、支援者の立場でしか状況は見れていない場合が多いです。たとえば、毎日裸足で歩いている子供を見て「かわいそう」と思うのが支援者の観点だとします。そこでサンダルや靴を供給した後に、結局その子供は裸足で生活し続けました。それはどうしてか、なぜならその子どもはサンダルや靴を「いらないもの」として見ているからです。実際に裸足で生活している人たちはいくらでもいます。現地の必要とされているものを知るためには、現地で長年支援活動をしている信頼性の高い人物から話を聞いたり、実績のある組織にニーズ調査を依頼するのがベストです。とにかく、私たちの考える必要なものと現地の人が考えるそれは違うということをよく覚えておかなくてはいけません。またひとつに、現地に自分自身が身を置いて状況を知るという方法がありますが、その方法で現地の本当の姿を知ることには限界があります。詳しい内容は以下のリンクにまとめたので、ぜひご覧ください。

関連記事:現地のことを完全に理解することがほぼ不可能なワケは? - 国際協力のタネ🌱

 

CSRを行いたい企業や財団法人のエゴ

f:id:keijuglobal:20200210204533j:image

また、CSRを行なっていることを社会に広めたい企業のエゴで、現地のニーズが無視された物資支援が行われる場合があります。CSRとは、正式名称をCooperate Social Responsibility(企業の社会的責任)と言い、利益を生み出している企業が担うべき社会貢献の責任として行う国際支援活動です。国連の定めた持続可能的開発のための17の目標SDGsによって、民間まで持続可能型社会に向けた国際貢献が世論的に求められたことを背景に始まっています。要は「私たちは自分の利益だけを追求するのではなく、社会で困っている方々にもその利益を貢献しているんですよ」ということをアピールすることができるわけです。ここで公表をすることはできませんが、現地のニーズを無視したCSRが細々と行われているケースはゼロではありません。自社の信頼性・社会貢献度を広めるために、やや強引にCSRが行われてしまい、結果として現地の社会構造を破壊してしまうという結果になってしまいます。

 

 

物資援助が有効なのは「人道支援」の時

物資の供給が行き届かない地域(紛争地帯や災害地域など)

f:id:keijuglobal:20200210204607j:image

国際協力活動には、人道支援開発支援があります。紛争・災害などなにか問題が起こった場合には素早い対応が必要で、そうした緊急時の支援のことを人道支援(緊急支援)と呼びます。そしてある程度緊急性が落ち着いた後に復興へ進めていくときの支援を開発支援(中・長期支援)と呼びます。物資援助は対応の緊急性が高い人道支援下において大変有効です。紛争や災害などで一時的に物資がなくなってしまった地域では、物資援助に高いニーズがあります。また、紛争の影響でなにも持っていない状況で家を追われて第三国へ避難してきた人々などにも、物資援助は大変有効です。ただし、その場合には可能な限りその第三国で購入した物資を供給することが大切です。

 

地域に物資は回っているが、一時的にそれが足りていない場合

f:id:keijuglobal:20200210204826j:image

これも人道支援の類ですが、対象地域に市場があるものの、なにかしらの原因で一時的に特定の物資が足りなくなってしまった状況にも物資援助は有効です。たとえば、原因不明のウイルス感染の病気が流行した時のことを考えてみましょう。多くの現地の人々が感染対策のために衛生商品を買い始めると、当然のごとく需要が高まりそうした商品は多く売れます。しかし緊急的な状況下では高い需要に対して供給が追いつかない場合があります。そういった際に物資援助は効果的です。

 

 

開発支援について学ぶのにおすすめの本

 

開発フィールドワーカー 改訂版 (国際協力の教科書シリーズ)

開発フィールドワーカー 改訂版 (国際協力の教科書シリーズ)

  • 作者:野田 直人
  • 出版社/メーカー: 人の森
  • 発売日: 2016/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

間違った物資援助は、多くの場合が途上国での開発支援において発生します。大学生でも、授業の一環や長期休暇での短期ボランティアでも、開発支援での物資援助を行う機会があるでしょう。そんな時にこの本はオススメです。この本には、開発支援において必要なメンタリティーや、現地住民との接し方、具体的な開発支援のアプローチ方法などが記してあります。他の本と違うところが、「決して正しい答えが書かれているわけではない」というところです。コラムのような短編がいくつか続くのですが、どれも従来の開発を批判するように見えますが、短絡的に自身の開発支援のアプローチを正当化していません。長い開発支援の経験の中で、開発支援があるべき姿とは何かを常に考えながら書いてきたことが伝わってきます。そうした文章からも、僕たちも深く考えながら国際協力を行なうべきことが学べます。自身の国際協力活動を行う前と行った後の両方に読むと、また理解が深まると思いますよ。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。モノは消耗品であり、いつかはなくなってしまいます。物資援助も同じで、消耗的であり持続可能敵ではありません。一時的な効果しかないからこそ、物資援助は緊急性の高い人道支援下において大きな力を発揮します。こうした要素を含んだ物資援助は、開発支援下においては説明した通りの悪影響を及ぼしてしまう場合が排除し切れません。現地のために正しい援助をできるためにも、物資援助の消耗的・非持続可能的な側面は覚えておいた方が良いでしょう。

自分の特技で交流の輪を広めるのは基本中の基本|現地で友達を沢山作る方法は?

f:id:keijuglobal:20200122063304j:image

あなたにとって、国際協力の魅力はなんですか

いくつかの魅力の中で、現地での体験に魅力を見出した方は多いと思います。

現場に出る事で現地の文化を直に知ることができて学びになりますし、地域の現状や必要としていることを知るきっかけにもなりますよね。では実際に現地のことをよく知るには、どうしたらいいのでしょうか

 

出鼻をいきなり挫くようですが、正直に言って現地の文化を100%理解することは、どんなに頑張っても極めて難しいと思います。その理由は詳しくは現地のことを完全に理解することはかなり大変|国際協力で勘違いしてはいけない「わかったフリ」の落とし穴 - 国際協力のタネ🌱にて説明をしています。

 

しかしそれでも、可能な限り現地のことを理解する方法はいくつかあります。一つの方法として「現地の生活に溶け込み、友達を作る」ことは非常に大切だと強く思います。

 

それではどのようにすれば現地の生活に溶け込み、友達を作ることができるのでしょうか。

本記事では、具体的な3つの方法をご紹介します。

 

●目次●

 

自分が好きな特技を発揮できるコミュニティを探す

f:id:keijuglobal:20200122064924j:image

自分の特技で交流の輪を広めるのは、基本中の基本です。あなたの特技は何ですか?バスケが得意な人はバスケットコートへ。釣りが得意な人はとりあえず水のあるところへ。自分の特技が発揮できる場所には、だいたい自分と共通の趣味や特技を持っている人たちが多いです。日本でも、何か共通の趣味や話題を持っている人たちとは仲良くなりやすいですよね、ずばりそれと同じです。筆者はテニスが得意だったので、テニスができる場所はないかと探しこみました。運良く、近所にテニスコートがありそこで同い年の大学生たちが趣味でテニスをしていたので、そこで多くの友達を作ることができました。そして大学や家に連れて行ってもらい、現地の生活に触れることができました。

 

現地の娯楽を一緒に楽しむ

f:id:keijuglobal:20200122064939j:image

とある文化人類学者はこんな名言を残しています。「現地の人を知りたければ、その人と一緒に酒を飲め」と。決して飲酒を強要しているわけではありませんよ。イスラム圏だとお酒を飲めない場合だってありますもんね。しかし、現地の人と一緒に娯楽を楽しむことはとても大切です。「楽しい」を共有するのは心の距離を近づかせる良い方法ですし、なにより普通に楽しいです。フィリピンの場合は、みんなでサンミゲルビールを飲みながらカラオケを熱唱するのが娯楽でした。そして相手も最初はなんとなく警戒しがちですが、だんだん「こいつといると楽しいな」と思うと、本音や素の表情を見せてくれるようになります。そういったことからも、現地の人と一緒に何か楽しいことをするというのにはトライしてみてください。

 

現地の言葉を学び、現地の言葉で交流しよう

f:id:keijuglobal:20200122064932j:image

現地の生活に溶け込み友達を作るためには、現地語を習得するのは絶対に必要です。せっかく英語を勉強しても、現場では英語を話せる人なんていない場合も多々あります。現地語を習得することで、現地の人の言うことをストレートに理解することができます。英語など多言語に通訳してもらうのは時間差が発生してしまいますし、通訳者の意図が入った言葉になってしまうので、現地の人が本当に言いたかったこととは少しニュアンスが変わってしまう場合が多々あります。最初の方は、現地語はできなくて当たり前です。そこで、実際に会話を通して現地の人に現地語を教えてもらって徐々に慣れていくといいと思います。外国人が頑張って日本語で話しかけてきてくれたら、こっちも嬉しくなりますよね。それと同じです。現地語を話せることではなく、現地語を話そうとする姿勢の方が大事な気がします。他にも現地語を学ぶことのメリットは現地で信頼関係を構築するためにも/現地語を勉強するメリットを3つ紹介します - 国際協力のタネ🌱にまとめたので、参考程度にご覧ください。

 

 

まとめ

以上が、現地の生活に溶け込み、現地の友達を作る3つの方法でした。

繰り返し述べますが、現地の様子を100%理解するのはかなり難しいでしょう。先程アップロードしたものと同じですが、重要なことなので繰り返しリンク先を貼っておきます。

現地のことを完全に理解することはかなり大変|国際協力で勘違いしてはいけない「わかったフリ」の落とし穴 - 国際協力のタネ🌱

 

そのことに注意しながらも、ぜひ上の3つを意識して楽しいフィールドライフをお送りください!

 

現地で信頼関係を構築するためにも/現地語を勉強するメリットを3つ紹介します

f:id:keijuglobal:20200123230937j:image

休学している間、国際協力の現場でに関わる方に多くお会いしたのですが、だいたい日本語と英語に加えて、ひとつ違う言語を話せる人が多いのが印象的でした。フィールドで地域住民の人と関わる上で、現地語を学ぶことは必須です。その人の所属する立場によってどれくらい現地語を勉強する必要があるのかは異なりますが、原則基本的な言葉は言えた方がいいでしょう。

 

筆者も休学をして海外の現場で働いている間は、フィリピンではビサイヤ語を、トルコではトルコ語アラビア語を使いながら学んでいました。

本記事では、なぜ現場での活動に現地語が必要なのか、1年間の現地生活経験を踏まえてメリットを解説します。

 

●目次●

 

メリット①:信頼関係の構築につながる

f:id:keijuglobal:20200123230945j:image

現場と関わって行く上で、そこで暮らす人々との信頼関係を築き上げることは非常に大切です。その際に、現地語を使うと住民の人も安心してくれます。Helloくらいなら現地の人にも伝わるのではないかとも考えるかもしれませんが、実際にHelloが伝わらない地域も存在します。このケースは、英語を知らない小さな子どもとの挨拶でよく生じます。そのような場合では、仮に挨拶をしたとしても相手に「自分が話した言葉は挨拶だった」ことすら認識されない結果になってしまいます。筆者も村への訪問などをした際には、絶対に現地語でカンタンな挨拶やお礼はするように心がけていました。信頼関係の構築のためには、基本的な意思疎通やカンタンな気持ちを確実に伝えることが必要であり、その際にも現地語は役に立ちます。また、現地の言葉を使うということは、そのコミュニティの中に一歩踏み込むということになります。外部の人間と現地の人々とを隔てる要素は、服装や顔の成り立ちなどがありますが、言語はその中でもある程度大きいものです。その言語を同じものにするということですから、より現地の人たちに合わせた関係性を作ることができます。日本に来た外国の方が日本語を使って話しかけてくれると親近感を覚えるのと同じですね。

 

メリット②:現地での行動範囲が広がる

f:id:keijuglobal:20200123231102j:image

現地語を話せると、行動範囲が広がります。現地語を話すことで地域の人々に気に入ってもらえると、家庭に招待してもらえたり、農業の収穫の様子を見せてもらうことなども可能です。筆者も一時期あえて毎日散歩の時間を作り現地の人とコミュニケーションをとり続け、ココナッツ農家のプランテーションの現場へ連れて行ったことがあります。そうした連れて行かれた先で新しい発見が見つかると、さらにその先へとどんどん深く知っていくことができます。他にも、NGOや国連の駐在員など現地に長期間滞在するのであれば、生活の基本的なことを現地語で行う必要があります。レストランや交通機関を使う際に要求を伝えられなければ生活していけませんよね。こうした日常生活の行動範囲を広げるためにも現地語は大切です。また、仮に仕事で村の人々へインタビューをしなくてはいけない場合、自分が現地語を話さないと通訳を雇わなくてはいけなくなります。予算が限られている中、それだけでも人件費がかかってしまうため、場合によってはプロジェクトの実施期間にも影響してくることもあるかもしれません。そうなったら行動範囲が狭まるどころか無くなってしまいますよね。進行中の事業のことを考えても、やはり自分が現地語を話せると余計な支出を抑えられるので大きなメリットです。

 

メリット③:現地の文化を深く知ることができる

f:id:keijuglobal:20200123231147j:image

2つ目のメリットで紹介したように、連れて行かれた場所で新しい文化を発見することもありますが、現地語を学ぶことで「言葉の中に隠された文化」を新しく知ることができます。たとえば、イスラム教と深く結びついているアラビア語には「インシャアッラー」という言葉があります。これは「唯一神アッラーの御心のままに」という意味で何か約束ごとをした際に言う言葉です。「明日○○時に待ち合わせね!」『OK!インシャアッラー』という感じで使うわけです。つまり、待ち合わせの時間に来るかどうかは神の御心のままに従うので、たとえ遅刻やドタキャンをしてもそれは私の意思ではないのだから、私に非はないのですよという意味が隠されています。日本人の僕たちからすると「なんだそのチート言葉は!」とモヤモヤした気持ちになりますが、敬虔なムスリムの方は普通に神を信じてこの言葉を多用します。他にも、「マッシャアッラー」や「アッラーハッラー」などアラビア語には唯一神アッラーの名前がたくさん出てきます。このように、そのことから宗教と生活が深く結びついている文化がわかります。また、フィリピンではココナッツに関する単語が引くほどあります。木についているものと落ちているもので言い方を分けたり、ココナッツの収穫だけ「カーリット」と他の収穫とは区別された言い方をしますし、ココナッツの身を削ることをわざわざ「カゴット」と言って他と区別します。このことからも、フィリピンのビサヤ地域ではココナッツ生活の関わりが深いことがわかります。海外ではひとくくりにされる"Rice"も、日本では「麦」や「新米」など使い分けるのと同じだと思います。こうした言葉から文化を発見するためにも、現地語はとても役に立ちます。

 

 

まとめ

このように、国際協力の現場で働く上で、現地語を学ぶことはとても重要です。決して現地語を勉強することは苦しいことだけではなく、むしろ新しい発見や自分の知らない世界に触れることができ楽しいことだらけだと個人的に考えています。気に入ったら、ぜひ参考にしてみてください。

ボディーランゲージを意識しよう!現地語がわからなくても楽しく国際交流ができる3つの方法

f:id:keijuglobal:20200123053722j:image

旅先や仕事先で街を歩く機会があるのなら、せっかくなら現地の人と楽しく交流をして、現地の文化や価値観に触れたいですよね。

しかし、そうした場所で英語を喋れる人は意外に多くなく、ディープな地域に行くほど現地の言葉しか話さない人たちは増えていきます。

 

しかし、別に一生そこに住みつく訳でもないのに現地語を勉強するのはちょっと・・・と躊躇される方へ、現地語が全然出来なくても、現地の人と楽しく交流できる方法が3つあります。フィリピンの田舎暮らしを半年間、トルコの田舎暮らしを4ヶ月間行った経験をもとに、本記事ではその方法を解説します。

 

●目次●

 

ボディーランゲージ(非言語)を意識しよう!

f:id:keijuglobal:20200123053836j:image

現地語ですごい勢いで話しかけられて、何を言っているか理解できず困ってしまったことはありませんか?その時に、きっと身体は強張り表情は硬くなってしまっているはずです。けれどそこで少し落ち着いて、笑顔で「分からない!」のジェスチャーをしてみましょう!きっと相手も様子を理解して、ジェスチャーを使って言いたいことを伝えようとしてくれるはずです。表情や身振り手振りは、言葉以上にモノを言う時があります。そしてこうした場合では、むしろ笑顔作りやジェスチャーを多くとりいれることはとても大事だと思います。こうした言葉ではない非言語の部分を活用することは効果的です。笑顔で話しかければ、きっと相手も笑顔で返してくれることに違いありません。

 

覚えるべき現地語は「ありがとう」と「グッド!」でOK

f:id:keijuglobal:20200123055007j:image

どこの国でも、感謝を伝える言葉は必ずあります。なぜなら、感謝を伝えたい気持ちは人種の垣根を超えたヒトの本能的な部分にあるからです。「ありがとう」の一言で、なんだか心が通った気持ちになりますよね。こうした心が通う瞬間は、コミュニケーションを豊かにしてくれます。また、「グッド」は何かを褒めたい時に使います。子どもと遊んだ時に何か凄いことを子どもが見せてくれたら褒めてあげたいものです。他にも、立ち寄ったご飯屋さんの料理がとても美味しくて「グッド!」とおいしさを伝えたら、きっとお店の人は喜んでくれます。「ありがとう」も「グッド」も、それくらいの簡単な英語だったら通じるんじゃないの?と思う方もいるかもしれません。しかし、現地の人からすると、現地語を話してくれること自体が嬉しいのです。日本に来た外国の方が、日本語を使って話しかけてきてくれると親近感が湧くのと同じです。

 

現地語「このように」とジェスチャーは神!

f:id:keijuglobal:20200123055724j:image

「このように」のlike thisとジェスチャーは、とても実用的でかなりオススメです。この方法を使えば、少し複雑なことでもカンタンに尋ねることができます。たとえば、アラビア語で「このように」は「ヘイク」というのですが、道をまっすぐ進めば目的地にたどり着きたいか尋ねる時、腕を前にまっすぐ前にまっすぐ突き出しながら「ヘイク?」と聞けば伝わります。また、食べた料理が美味しくて調理方法を尋ねたい時、フライパンを動かすジェスチャーをしながら「ヘイク?」と聞けばOKです。つまり、「このように」という言葉に対して、ジェスチャーに意味を補完してもらうという作戦です。実際に筆者もフィリピンで子どもたちにテニスを教えていた頃は、打ち方の専門用語なんてわかるわけがないので、この技を使いまくっていました。

 

 

まとめ

以上がちょっとの現地語で楽しく交流できる3つの方法でした。きっとこの方法を知っているだけで、かなり現地の人たちとの交流が違うはずです。

気に入ったら、ぜひトライしてみてください!♪

 

現地のことを完全に理解することはかなり大変|国際協力で勘違いしてはいけない「わかったフリ」の落とし穴

f:id:keijuglobal:20200122140052j:image

現地で地域住民の人と仲良くなれて、地域のことを知ったふりをしていませんか

大学生活の短期ボランティアでありがちな終わり方が、「途上国の人たちは経済的には貧しいけれど、心は豊かな人たちだった。」というものです。もちろん、これは開発学的な立場からの発言なので、必ずしも途上国の人々=経済的貧困にはなりません

 

しかし、本当に地域の人は「貧しいけれど豊かな心」だったのでしょうか。僕は違うと思います。あなたの前で見せた笑顔の裏には、別の表情があることを僕たちは常に意識しておくべきです。それは貧困の側面だけではなく、その人が「隠したい」と思う全ての表情です。なぜこう曖昧に「全て」と説明したかというと、僕自身把握できていないからです。

 

現地の生活にいくら溶け込むことができても、現地のことを完全に理解することは極めて難しいでしょう。具体例を交えて、本記事ではその理由と、勘違いをしてしまったらどういうマイナス面が起こるのか、そして僕たちが意識するべきことについて解説します。

 

●目次●

 

【原因】僕らはあくまでお客さん

f:id:keijuglobal:20200122140100j:image

地域によって差はありますが、僕らは海外から来たお客さんで、もてなされる存在だということを認識しなくてはいけません。お客さんにはやっぱりどうしても良い顔を見せたいですよね。良い顔を見せる時は、その裏で隠したい部分があります。長期間その土地に滞在すると、たまに他の表情を見せてくれるようなシーンにも遭遇しますが、基本的に僕らは「お客さん」という立場は変わりません。保守的な地域ではなおさら、この見方は変わりません。現在ぼくが滞在しているトルコでは、シリア人とホストコミュニティの関係性の悪さが問題となっています。しかしどんなにお互いが衝突をしていても、ぼくの目の前ではお互いに全てがうまく行っているように振る舞います。それはぼくが外部の人だからです。つまり問題の蚊帳の外の人なので、現地の人からすると「常にいい顔を保ちたい、もてなしたい」という意識が作用する訳です。(宗教上の理由もあります)さらにその関係性を乗り越えたとしても、言語や価値観の壁があるので別の時間と労力を必要とすると思います。また、NGOや専門職員などの「外からやってきた支援をする人」という明確な立場を持った場合だと、なおさらその色は強まります。一見とてもよく現地の人と触れ合うことができても、それは外国人だからということを認識しておいた方が良いでしょう。

 

 

【影響】「現地のことをなんでも知ってます」の勘違いが1番危険

f:id:keijuglobal:20200122140120j:image

1番危険なのが、「現地のことはなんでも知っています」と勘違いをしてしまうことです。なんでも知っていると思って「これが問題だ」と完全に定義づけてしまうと、思考が停止してそこから漏れた他の可能性に気づきにくくなってしまいます。たとえば、A村とB村とC村が井戸をお互いの中間地点に置いて共有していたとします。長い距離を歩かなくてはいけないということで、お互いの村に新しい井戸を設置しました。一見とてもいいように見えますが、しかし実はこの井戸がお互いの情報交換や他者理解の場になっており、村の中にそれぞれ設置してしまったことで村同士の交流がなくなってしまいました。また、自分の情報・考えが1番正しいというふうに考えてしまいがちになります。国際協力は決して1人では出来ず、他者との協力が必要です。そんな中で自分の意見が1番正しく正確に現地を捉えていると考えてしまう癖は、他のスタッフとの関係性も悪くなりますし、プロジェクトの効果自体にも影響を与えてしまいます。

 

【対策】常に違う顔が隠されていることを意識するべき

f:id:keijuglobal:20200122140125j:image

文章中で何回も述べていますが、常に自分が外国人でもてなされやすい立場にあると考え、現地の人たちは別の性格を持っていると認識した方が良いでしょう。一見とても優しそうなおばさまが自分の娘に早期結婚をさせていたり、一見幸せそうな家族に子どもが沢山いるのは、実は宗教上の理由で避妊具を用いての性行が認められていないためだったり。こうした裏の現実を知るにはそうした細かい意識が必要です。決して現地の人は必ず問題だらけの人々たちなのだからという訳では決してありません。しかし、僕らに見せる顔の他に、別の側面を持っていることを常に意識して関わっていくことが大事です。

 

 

まとめ

さて、なにか新しい気づきはありましたでしょうか。

これから夏休みの短期ボランティアなどで海渡航を検討している方は、以上の点を意識して参加してみると何か別の視点で現場を観察できると思うので、ぜひ意識してみてください。

 


Twitterはコチラ💡

日々の発信をチェック!!